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私たちの終わり方

副題に、「延命治療と尊厳死のはざまで」とあります。著者は、真部昌子氏です。学研新書から出版されております。

真部昌子氏は、明治大学法学部卒業後、東洋英和女学院大学修士課程を修了し、日本医科大学看護専門学校専任講師、川崎市立看護短期大学助教授を経て、共立女子短期大学教授になられた方で、貴山じゅんのペンネームで小説も書かれております。

同書の中に出てきた単語で気になったものがありました。

医療経済学です。

末期患者への人工呼吸器が1台数百万円から一千万円すること、設置台数に限りがあり同一患者への長期使用の費用(七割の医療費が税金で賄われる)が話題になっておりました。

果たして、費用対効果で考えて良いものなのかという疑問が残りました。医療経済学という言葉には、命には価格があると認めたような感覚をおぼえます。理解不可能な感覚です。ナンです、その経済学?

同書の中では、延命治療や尊厳死について語られております。更に、安楽死についても書かれています。

まず、安楽死は端的に言えば医師が介在して薬物投与により苦痛を最小限に抑えた自殺幇助となります。罪になるか、ならないのかという議論はありますが、割愛させて頂きます。

ふと連想したのは、死刑執行に薬物投与の要求が出ている点でした。刑罰としての死刑は、死ぬという過程が刑罰なのか、絞首刑(相当に痛いらいしいです。二十分間は吊り下げておくそうです。)で殺される事が刑罰なのかという論議を醸し出すと思えます。同じ絞首刑でも、吊り上げ式と吊り下げ式があり、前者は後者に比較して死ぬまでの苦痛が激しいそうです。これも、医療とは異なる話題ですので後日に記事にさせて頂きます。

尊厳死については、積極的な延命治療は行わないという点が強調されていました。

DNRという言葉が出てきます。DNR order はdo not resuscitateの略であり、心肺蘇生不要指示と訳されていました。

心停止、呼吸停止になった場合に延命処置を行わないで欲しいという指示になります。一旦装着させた呼吸器は患者さんが死を向かえるまでは外してはいけないと法律で定められています。人口呼吸器の装着はしないで欲しいという要望になります。

ALS(筋萎縮性側策硬化症)患者の事例が挙げられておりました。この病気の末期は呼吸器が必要となるそうです。

あるALSの患者さんは事前に家族や医師と相談して、呼吸器はつけないことを依頼していました。しかしながら、末期に呼吸困難を見かねた家族の要望で呼吸器がつけられました。

自分は延命治療を望みません。妻も同様に言います。しかし、妻が上述の患者さんのような状態に陥った時、延命処置を放棄出来るのか?と問われれば答えはNOです。

恐らく、呼吸器の装着を依頼すると思います。依頼してしまうと思います。

死んでしまえば全ての可能性が破棄されます。現在の医学で治療が不可能だと宣言されたとしても、激しく咳き込み苦痛の表情を浮かべる家族の死を受容することは出来ないと思います。

繰り返しますが、延命治療を生前から拒んでいるのを知っていたとしても人口呼吸器の装着を依頼すると思います。

どなたかが、絶命寸前で激しい発作を起こしていても当人は苦しくはないと書かれていました。生憎、文献を探す時間がないので記憶で書きます。

その先生は看護学の権威的な地位にいらっしゃる方です。あながち嘘でもないとは思います。正確に書くなら、そう思いたいのですが、本当に苦しくはないのでしょうか?謎です。

臓器提供についても同様です。自分も妻も脳死状態での臓器提供は宣言しております。自分の臓器が移植され助かる命があるなら使って下さいと思います。しかし、家族の臓器を提供出来るか?と問われれば、答えはNOです。絶対に臓器提供を拒むと思います。自分の死と家族に死に対するダブルスタンダードに他ならないと思います。

同書の中で、臓器提供者を担当した看護生が殺人に荷担したような気分になった話が出てきます。まさに、その感覚なのです。自分の臓器は使ってもらうのはかまわないが、家族の臓器は提供したくないのです。これは、何ら論理的なものではなく、感情として受け入れがたいものだと言えます。

更に、同書では死に場所を何処にするかという点についても書かれております。大抵は、病院のベッドの上ですが、在宅で生を全うする手だても出てきたそうです。

ホスピスの緩和ケアについても書かれておりました。最近では在宅緩和ケアの取り組みも始まっています。畳の上で死を迎えることが可能になってきたと言えるのではないでしょうか。



皆さまは、如何お考えでしょうか?



関連URL:知ることより考えること
関連URL:死ぬための教養







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コメント

本当に・・・

本当に難しいですよね。
自分だったら・・・
家族だったら・・・

それだけでも、色々な考えが思い浮かんでしまします。

決して治らない、助からない場合でも
人は生きる望みを持ち続けることができる。

これは、父を看取った時に感じたことです。
ガンで死亡しましたが、最後まで生に執着していました。
生きようとしていました。

1つ言えるとすれば、本人の意思は尊重されるべきだと思います。

eri3lovedさんへ

コメント、ありがとうございます。

お父様のご冥福をお祈り申し上げます。

最後まで生きることに執着出来る人と諦めてしまう人が人がいると思います。

執着出来る人は寿命を生き切ったと言えるのでしょうか。まだ、答えはでません。

癌は大抵の場合はとう痛を伴いますから半端な苦しさではでないと思えます。それでも自分の命にしがみつけるのか?

自分なら諦めてしまうのではないのか?

難しいですね。


父が病気で

亡くなる前、私はもう延命せずに
と言いました。でも兄弟は、勿論
延命措置の呼吸器を付けて貰う事
を希望しました。そして…とても
悲しい姿のまま…死を迎えるまで
の僅かな時間 親戚達が会いに来る、
それを終え暫くして亡くなりました
私は生前の父の いつも明るく英語で
挨拶し誰とでも仲良くなるイメージ
のまま逝かせてあげたかった、本人
もそうだと思う…だから家族だけで
自然に看取りたかった…延命治療…
とても辛い思い出でした。MAMA

(-.-)

実は私、父が憎くて仕方ありません。
一刻も早く死んでくれと願っています。
だけども…苦しんで絶えていく姿は見たくないです。
もし、そんなのを見れば、そぅ願った自分を生涯責めるでしょう
しかし、全部を読んだ今でも早く死んでくれと思います。
みなさん、素晴らしい親を持っていて羨ましいです。

大切な人の死

私が物心つく前に、父方の祖父・祖母・母方の祖父は亡くなっており、母方の祖母は90歳近い今も健在です。
身近で大切な人の死をほとんど経験した事が無いのです。
でもいつかは両親も亡くなるでしょう。
その時を思うと、、、何とも例え難い気持ちです。

延命治療には賛否がありますが、私が死ぬのであれば延命は
せずに旅立ちたいです。

knight&MAMAさんへ

コメント、ありがとうございます。

看取りというのは難しいですね。

自然にと願っていても直前の苦しむ姿を受け入れられなくなる気持も、このままと願う気持もあると思います。血を分けた兄弟であっても同じ価値観を持つとは限りませんし。

最後をどうして欲しいのか聞いておく必要はありますが、果たしてそれを実行できるのか、延命しない決断を下せるのかという課題もあると思います。

ジョアキンさんへ

コメント、ありがとうございます。

親はある程度は子どもを選んだり出来ます。最近の話題では石田純一氏が羊水検査を希望した話が該当するのでしょうか。

しかし、子どもが親を選ぶことは出来ません。

親子関係は非常にデリケートで難しい問題だと思います。専門家の間でも難しいとされる問題ではないでしょうか。

時を経て和解出来た友人もいました。運が良かったのでしょう。

ひとみさんへ

コメント、ありがとうございます。

親の死は大抵は経験されますよね。逆に、子どもが親より先にとは微塵にも想像がつきません。

親を亡くされる身近な人たちを見ていると自分も何時かは経験しなければいけないのかと思います。

自分自身で延命治療を拒んでも、周囲がそれを受け入れてくれるかという話は別物だと思います。

難しいです。

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