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偏差値

一億総ナントカという幾多の単語に現れておりますし、皆がやっていますという行動様式にも現れておりますし、皆が同じだという共同幻想を17世紀以降の日本人を抱いてきたと思えます。顕著に現れるのが偏差値という言葉。

日本社会における偏差値というお題目で英文を書いてみると奇妙なことになります。ちょっとしたスピーチを思い浮かべて頂くだけでも違和感を得られるかと思います。変なのです、偏差値という単語。皆で一緒に頑張りましょうという発想が根底に流れており、稲作社会における村の決まりごとに従いますという姿勢に由来すると推察出来ます。

例えば、士農工商という社会制度。19世紀に廃止されましたが現在の偏差値ランキングと同じだったりします。19世紀の日本人の多勢は農家だったという想定に基づくと仮定し、現代の親子がこの偏差値ランキングなら分相応だと思う感覚を得ると思います。その感覚こそが言わんとしている点です。

一歩踏み込んで書くなら、偏差値50前後なら何も問題は無いという考え方に日本人ならたどり着く点を英文では巧く説明出来ません。巧い説明が出来る方もいらっしゃいますが、偏差値という概念を上手に翻訳することは容易ではないでしょう。

中国や朝鮮半島の歴史や現在の高等教育事情を観察すると競争という言葉が妥当でしょう。競争には勝者と敗者が生じます。現在の中国や朝鮮半島に暮らす人々の不幸は富の分配は血縁が優先され、血縁が無い者は想像を絶する競争に勝たないと暮らしていけない点だと思えます。科挙という制度は現代の社会にも当てはまるかと。

19世紀の農民は被雇用者に置き換えられ、第一次産業から他の産業へのシフトも生じました。現象面での変化は有りましたが、被雇用者には職業高校、専門学校、高専、大学・大学院という教育過程を経れば他国に比べれば酷い目に合わずになるようになっています。本質的には皆が同程度なら問題は無いという発想の域を出ていないと言えます。

夏目漱石が直面した個の確立という問題は村落に暮らすには不便です。村落をマンションとか学校に置き換えても同様でしょう。日本社会の特徴なのだと思えます。

分配が不平等になっており、その格差が開くなか、幸福の尺度を何に求めるかは個人の問題に尽きると思えます。個の確立とは孤立なのだと思う時、足元がすくむのは日本人だからでしょうか。似た現象はヴェトナムで顕著だと坪井善明氏は著書「ヴェトナム新時代」岩波新書に書かれております。




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コメント

平均って・・・

そもそも、平均って良いわけでは無いんですよね。
でも、何となくみんなと一緒だから安心しちゃうんです。

凄~く、つまらないと思うんですけどね・・・

eri3loveさんへ

コメント、ありがとうございます。

平均は平均なんですよね。

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