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森有礼


初めてづくしの方とでもいいましょうか。森有礼は、1847年に生まれました。この年、蘭学修行中の勝海舟(24歳)に長女の夢子ちゃんが生まれています。(註1)つまりは、同級生ということでしょうか。まさに激動の時代に生まれました。

まずは国立国会図書館の資料から森有礼氏の略歴を追ってみたいと思います。


以下、引用文

鹿児島生まれ。外交官、政治家。父は鹿児島藩士。藩校造士館、藩洋学校開成所に学ぶ。慶応元年(1865)藩の留学生として英国に留学。米国を経て明治元年(1868)帰国後、新政府において徴士、外国官権判事、公議所議長心得、制度寮副総裁心得などをつとめる。一時離職し郷里に戻るが、再び出仕。米国在勤後の6年(1873)明六社を設立するなど、欧米思想の啓蒙に尽力。8年(1875)商法講習所設立に参画。以後駐清公使、外務大輔、駐英公使、参事院議官兼文部省御用掛等を歴任。第1次伊藤、黒田各内閣の文相となる。憲法発布当日、国粋主義者に襲われ翌日死去。

以上が、略歴となります。今度は、森有礼氏の足跡を時代背景と並べて追ってみたいと思います。

1853年6月 7歳の時に、ペリーが黒船を連ねて来航しました。太平の眠りを覚ます蒸気船たった四杯で夜も眠れずと狂歌が詠まれました。

1859年 12歳の時に安政の大獄が終わり、翌年1860年に桜田門外の変が起きました。

1861年 14歳の時に米国では南北戦争が始まりました。森有礼の留学4年前の出来事になります。

1863年 16歳の時にリンカーン大統領が奴隷解放宣言をします。

1865年 18歳の時に米国では南軍のリー将軍が降参し、南北戦争が終わりました。この年に、薩摩藩の留学生として英国に洋行しました。

1867年 20歳の年は大きく時代が動きました。10月に大政奉還、11月に坂本竜馬が暗殺され、12月に王政復古クーデターが起こされます。

1868年 21歳の年は、1月に鳥羽伏見の戦い、4月に江戸開城、戊辰戦争を経て榎本武揚が函館五稜郭へ立てこもったのが12月でした。英国から米国を経て日本に帰国した年となります。イヤーロッパク明治維新と唱えると覚えやすいです。新しい時代に突入したとはいえ、薩長閥が自浄作用を持たぬため後年の災難はここに始まったと思われます。

1869年 22歳の年は、版籍奉還がありました。

1870年 23歳の年は、廃藩置県がありました。

1873年 26歳の年は、地租改正が決りました。明六社を設立したのはこの年になります。この啓蒙活動を目的として設立された団体が今日の学士院への系譜を作り出しました。現在、文部科学省の重要な天下り先程度に考えるのが妥当でしょうか。(暴言)

1875年 28歳の年は、広瀬阿常さんと結婚契約書を交わした第一号。福沢諭吉を立会いにした人前結婚式だったようです。これまた第一号でしょうか。同郷で同学年だった古市静子との婚約破棄の話はありますが、年齢を考えるに広瀬さんと結婚する5年ほど前には別れていると思われます。

1877年 30歳の年は、西南戦争が終わり、西郷隆盛は非業の死を遂げました。弟の従道はちゃっかりと後年に入閣しました。

1883年 36歳の年に、鹿鳴館が竣工されます。なお、この鹿鳴館は、後年に払い下げになります。1887年に条約改正に失敗し、急進的な欧米化策に対する世間の顰蹙を抑えきれなくなったというのが定説です。

1885年 38歳の年は、第一次伊藤内閣(平均年齢45歳)で内閣最年少で初代文部大臣に就任しました。以来、38歳での入閣は野田聖子郵政大臣(1998年就任)まで無いのではないでしょうか。正確に調べてはいませんが、2008年に小渕優子特命担当大臣が35歳で就任しているのが日本の最年少記録でしょうか。もっとも、野田氏も小渕氏も世襲議員ですので、森氏と比較は無理がございます。教育の程度もすこぶる違いがあるようです。(註3)要するに、今は誰でも大臣になれる時代なのです。この際ですからモーニング娘で内閣改造をしては如何でしょうか。見栄えもよくなり内閣の支持率はぐぐんとアップするのは間違いありません。漢字が読めないのは総理大臣も同じですから何も問題はありません。なんて、夢のある国なのでしょう。

ところで、森有礼の話からはそれますが、初代内閣にて榎本武揚だけが元幕臣の身分から逓信大臣(郵政大臣)に就任しています。それ以外は全て長州6名、薩摩5名、佐賀1名(大隈重信)、肥後1名(井上毅)の構成です。勝てば官軍とはよく言ったものです。

1886年 39歳で離婚します。夫人の不倫で離婚した噂ありと山本夏彦氏は話されております。(註4)一説には青い目の子供を産んだからだと噂されています。鹿鳴館が閉鎖される前年のことです。鹿鳴館閉鎖の理由に関わるのだろうか等と勘ぐってしまいます。性根が下司だとこれだからいけません。

1888年 4月30日に同郷で似た境遇に生まれた7歳年上の黒田内閣のもとで文部大臣に就任しました。41歳でした。



その後、1889年の帝国憲法発布の日に暗殺されました。彼の葬列を見送るエピソードは、夏目漱石の「三四郎」にもでてきます。(註2)作品の中では広田先生が、糞寒い中を駆り出されて行列を作ったんだけど、葬送ってより見物って感じ?などといった内容を述べています。他人の葬式なんぞ、そんなものです。



森有礼氏をなぞりつつ、明治を綴ってみました。つくづく激動の時代を若い力が集まって乗り切ったものだと感じます。




註1)松浦 玲 著/勝海舟 -緯線前夜の群像3 中公新書 第39刷

註2)夏目漱石 著/三四郎 岩波文庫 第93刷 P267をご参照ください。

註3)森有礼が下級武士ながらも薩摩藩校での成績を認められて留学したのに対して、野田氏も小渕氏も親が議員だったという運(?)がありました。日本の大学は入るのは難しいが卒業は簡単と揶揄されることが多々ありますが、お嬢さん学校やお坊ちゃん学校は生まれるべき家に生まれれば入るのも簡単です。故に、彼女たちが官僚を使いこなせる程に猛勉強してきたかというと疑問が多く残ります。但し、両氏ともに日本の少子化問題を考えるには適任だとは思います。

註4)山本夏彦 著/誰か「戦前」を知らないか 文春新書 第10刷 P214をご参照ください。
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コメント

明治維新やね~

日本史上最大の出来事が「明治維新」だと私は思っています。
今の自民党も「明治維新」のような変革を起こさない限りダメでしょうね

記事の内容とは全く違ったことですみません

幕末から明治初期は時代の動きが激しくて、面白いですよね
以前はそう思ってはいませんでしたが

koumeさんへ

コメント、ありがとうございます。
幕末から明治にかけては、まさに激動の時代ですね。

明治から昭和初期にかけての記事をぽつりぽつりとアップしていきますので、コメントを頂けたらよろしくお願いします。

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