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金融恐慌


1927年(昭和2年)3月15日から翌月20日前後にかけて震災手形の処理問題が引き金となり、昭和の金融恐慌が始まりました。取り付け騒ぎだのモラトリアムだのと大騒ぎがあり、2ヶ月程後の5月28日には中国の山東へ第一次出兵をついに行ってしまい、幣原外交が破綻しました。(註1)更には、翌年1928年4月には第二次山東出兵(要するに増派による費用拡大)、6月に満州軍閥の元締めであった張作霖を爆殺し、中国大陸での権益拡大から足を抜けない状況に陥りました。

追い討ちをかけるように、2年半後に1929年10月24日にはニューヨークウォール街での株大暴落式が始まり、一気に世界中を巻き込んだ世界恐慌に突入しました。日本も多大な影響を受け、農村の疲弊は悪化を辿ります。大まかに、2点が挙げられます。

まず初めは、生糸の生産調整による失業者の増大です。輸出が47%落ち込むとなれば、相当な失業者が繊維産業で生じます。大竹しのぶさんが主演した映画「ああ野麦峠」では過酷な就労が描かれていますが、まさに使うだけ使ってからの解雇が行われたと想像できるのではないでしょうか。帰農させれば良いという安易な考え方が政府にも企業にもあったように思えます。ここまで生糸生産が落ち込んだ影響は、米国市況の大幅な落ち込み(1932年の最悪時期で米国工業生産は44%ダウン、失業率は32%)と無関係ではありません。寧ろ、米国市場を失ったことが中国大陸への進出をおしはからせたようにも思えます。

中国大陸での穀物増産(注1)は国内米価を抑制する意図がありました。しかも、豊作予測がたつやいなや青田買いによる現金収入獲得を農家は余儀なくされます。運転資金としての現金が必要だったからこそ、余裕のない者から買い叩かれたと言えるでしょう。

当時の日本と現在の日本とを比較すれば、中間層の割合が格段に異なります。この中間層がどこまで困窮に堪えうるかが鍵を握るように思えます。具体的には、2009年夏のボーナス商戦で生じるであろう惨敗を特に自動車産業がどれだけ吸収しきれるかが鍵になります。更には、各業界での企業間の統廃合も進むのではないでしょうか。まずは、役所及び政府関連団体の役員・管理職の一律削減(注2)を行ってもらいたいものです。雇用は確保するが既得権は削減といった案が妥当でしょうか。





註1)英国からは中国への共同出兵を要請されていたが、幣原外交方針では深入りは中国人の反感を煽るのみで国益にならずと判断し、軍隊の派遣は控えていた。正しい判断だったと思われます。

注1)なんのことはない。生産効率を上げたのではなく、作付面積を増やしただけでした。農地の拡大と占領地拡大はワンセットでした。故に、中国大陸から足を抜けなくなりました。分岐点は幣原外交が破綻した山東出兵だったように思えてなりません。

注2)無条件に一律削減にしないと永久に実行不可能です。個別の事情を考えないのが定石です。




参考文献
遠山茂樹 今井清一 藤原彰 著/ 昭和史(新版) 岩波新書 第67刷




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