FC2ブログ

伊藤博文

丁度、100年前の話です。岩波文庫に収録されている漱石日記の1909年(明治42)6月17日付け日記には、

○○○東宮御所の会計をしらべている。皇太子と皇太子妃殿下が二人前の鮪のさしみ代(晩食だけで)五円也。一日の肴代が三十円なりと。天子様の方は肴代一日分百円以上なり。しかして事実は両方とも一円位しかかからぬ也。あとはどうなるか分からず。伊藤その他の元老はむやみに宮内省から金をとる由。十万円、五万円、なくなると寄こせといってくる由。人を馬鹿にしている。

と漱石は書いております。皇室の予算を切取り次第というは如何なものかと思います。漱石の日記には伊藤博文の名前だけがでてきますが、山県有朋がフィクサーとなり、長州閥を中心にして日本の政治を操っていました。

この時期の日本を見てみると、1909年4月10に伊藤博文が総監として韓国の法治国家化を望みながらも、三年半に及ぶ保護国化政策の失敗(前年にはもっとも激しい反日運動が起きています。)と桂首相・小村外相による説得によって、韓国併合へ大きな施策の転換をしております。軍事費が増大していくのは当然の帰結でしょうか。

さて、伊藤博文に話を戻します。韓国では最も嫌われている日本人の一人として有名ですが、あまりに感情的な反応に思えます。伊藤博文自身は、韓国併合には反対をしておりました。寧ろ、法治国家としての体制を整えた上で朝鮮半島は朝鮮人が治める国になればよいという考え方をしておりました。それにも関わらず、朝鮮国内では一進会という韓日合邦を求める団体が1910年には会員数9万を超える第一の政治団体となり、穏健に排日を主張する第二の政治団体である大韓協会の二万人の団体を引き離していたといった統一を欠いた政治状況がありました。自ら、独立を逃す過ちをしていたとうつります。当時の朝鮮半島の人口が1300万人としては少数派ではありますが、最も大きな政治団体でさえ人口の10%も組織できなかったことは、日本の対朝鮮半島政策を論じる以前の問題です。

ついでに書いてしまえば、第二次世界大戦終結後、朝鮮半島は信託統治される案がだされており、南北に分断された状態で独立するまでに三年を要しております。これまた、日本の責任を云々される以前の問題かと思います。

伊藤博文を冷静に評価できぬうちは、自国の失敗から目をそらし続けるのでしょうか。同年十月に伊藤博文はハルピン駅で安重根に暗殺されております。安重根が英雄視されているうちは、ずれた歴史認識にとらわれ続けるのでしょうか。伊藤博文は実は朝鮮半島の自主独立を目指していただけに、複雑な感情を禁じえません。





参考文献
平岡敏夫 編/ 漱石日記 岩波文庫 第20刷
海野福寿 著/ 韓国併合 岩波新書 第1刷
呉善花 著/ 韓国併合への道 文春新書 第10刷



スポンサーサイト
[PR]

[PR]

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

ミニチ

Author:ミニチ
アホが感染してもしりません。

最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
月別アーカイブ
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログランキング

FC2ブログランキング

検索フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: